人気歌手、女優の由紀さおりさんはいまだに第一線で活躍を続けていますね。
そんな由貴さんは、若い頃から美人だとファンの間で言われていました。
この記事では、由紀さんに関して以下のことをまとめています。
- 学生時代の顔写真
「小学校一年生で歌手デビュー」 - 年代別の顔写真
「若い頃から超美人だった」 - 若い頃の髪型
「本名は安田章子だった!」 - 若い頃の評判
「歌手以外でも高い評価」
【顔写真】由紀さおりの学生時代
こちらが由紀さおりさんの学生時時代の写真になります。
見た感じとても可愛らしいイメージですね!
この時から美人になりそうな雰囲気があったことがわかりました!
また、由紀さんの出身学校は、
◯高校
洗足学園第一高校
◯大学
洗足学園短期大学
ということがわかっています。
学校に関する情報は以下の通りです。
◯学校名
洗足学園第一高校
※閉校済み
◯住所
〒152-0012
東京都目黒区洗足1丁目
◯偏差値
46
◯他の有名人の卒業生
若杉嘉津子・水久保澄子
◯学校名
洗足学園短期大学
※現在は「洗足子供短期大学」
◯住所
〒213-0011
神奈川県川崎市高津区久本2丁目3−1
◯他の有名人の卒業生
木村美穂・冨田リカ・宇江佐りえ・渡辺真知子
学生時代の顔写真「小学校一年生で歌手デビュー」
続いては、由紀さんの学生時代のエピソードに関して振り返っていきましょう!
主なエピソードは以下の通りです。
- 群馬県で生まれ、父の仕事都合でしばらく滞在する。
軍需工場の閉鎖などの戦後処理の仕事をしていた父の仕事が一段落したため、神奈川県横浜市へ移住した。 - 通っていた小学校の講堂で練習していた「ひばり児童合唱団」に姉が興味があり、練習風景をいつも観ていた。
両親は、その様子を見ており、「興味があるなら」と合唱団への入団を勧めた。
「どうせならさおりも入ったら?」ということで、入団に至る。 - 合唱団の活動していく中で、小学一年で受けたオーディションに合格して、童謡歌手としてデビューする。
先にデビューしていた姉と一緒に童謡歌手の活動をすることに。 - 少女雑誌も二人の姉妹に注目しており、グラビアを姉妹で務める。
由紀さんは、学生時代から歌に興味があり、小学校一年生で童謡歌手としてデビューしています。
姉の安田祥子さんととは雑誌のグラビアなどの仕事も行っていました!
【年代別】由紀さおりの若い頃が美人だった!
由紀さおりさんは、現在70代です。
若い頃から活躍していたこともあり、その当初の写真を見たいという方も多いのではないでしょうか。
由紀さんの若い頃を年代順でまとめてみました。
それでは、写真と当初のエピソードを振り返っていきましょう!
20代の顔写真「本名は安田章子だった!」
- 1965年(19歳)
「ヒッチハイク娘」をキングレコードからリリースして、歌謡歌手としてデビューする。
デビュー時は、「安田章子」として活動していた。
安田章子は由紀さおりの本名だった。 - 1966年(20歳)
その後も曲リリースするが、売れることはなかった。 - 1968年(22歳)まで
活動名を「由紀さおり」に変えて再デビューする。
本人は、再デビューに乗り気ではなかったが、周囲の後押しで決意した。
芸名の由来は、母親が着物の「結城紬」だ好きだったことから当初は、「結城紗織」の表記だった。
その後、漢字だけだと固い印象になるため、「由紀さおり」の表記へ変更している。
そして、「夜明けのスキャット」をリリースして150万枚のミリオンセラーになる。 - 1969年(23歳)
音楽プロデューサー大森昭男氏と結婚する。
大森昭男氏は、由紀さおりより12歳年上で、高校生の時に仕事の関係で出会った。
その後、高校卒業時点では既にプロポーズされており、23歳の時に結婚に至る。 - 1970年(24歳)
「手紙」をリリースする。
6週間連続で一位を獲得する大ヒットを記録し、「日本レコード大賞」歌唱賞を受賞する。 - 1973年(27歳)
「恋文」をリリースして12万枚のヒットを記録して、「日本レコード大賞」最優秀歌唱賞を受賞する。
30代の顔写真「旦那さんと離婚していた」
- 1976年(30歳)
「つかの間の雨」をリリースして、アルフィーの高見沢と坂崎が伴奏でコラボする。 - 1980年(34歳)
この頃からテレビのバラエティ番組に出演が増える。
特に、「ドリフ大爆笑」にゲストとして出演し、結果的に皆勤出演となった。 - 1982年(36歳)
テレビでの活躍が評価され、バラエティ番組「おもしろサンデー」の司会を務める。 - 1983年(37歳)
子宮筋腫を発症ししていることがわかり、検査の結果、子宮内膜症も併発していたことが判明。
そんな中でも活動を続けて、ドラマ「家族ゲーム」にも出演する。
そして、大森昭男氏と離婚が成立しています。
離婚理由は、将来の方向性が違ったこととされていました。 - 1985年(39歳)
童謡アルバム「あの時、この歌」をリリースする。
40代の顔写真「子宮を全摘出していた」
- 1986年(40歳)
同じく活動を続けていた姉の安田祥子と共に童謡コンサートを開催する。
引き続きヒットを続けて、「日本レコード大賞」企画賞を受賞した。 - 1987年(41歳)
子宮筋腫と子宮内膜症の治療を続けていたが、子宮の全摘出をする判断を迫られる。
ホルモン治療という選択肢もあったが、声帯への影響が懸念されたため、由紀さおりは摘出の決断をした。
歌手活動の道を選び、9年ぶりに「NHK紅白歌合戦」に出場して、2001年まで連続で出場を記録した。 - 1992年(46歳)
紅白歌合戦で自身初の紅組のトリを務める。 - 1995年(49歳)
バラエティ番組での活躍も続けており、ユニークな人柄が世間に認められていた。
バラエティ番組「コメディーお江戸でござる」や「道中でござる」の準レギュラーに抜擢される。
50代の顔写真「経営者と事実婚」
- 1997年(51歳)
「紅白歌合戦」で披露した「トルコ行進曲」が全国的に話題になる。
X JAPANのTOSHIも「由紀さおりと言えばトルコ行進曲」と話すほど、音楽関係者からの評価も高かった。 - 2000年(54歳)
映画「ドラえもん のび太の太陽王伝説」の主題歌「この星のどこかで」をリリースする。
由紀さおりは、ドラえもんは子供の教育に良いと考えており、大好きなアニメの主題歌を担当して、感激する。
インターネット関係の会社経営者柴冨哲也氏と事実婚状態になる。
仕事を完全に辞めて、アメリカに住む柴冨哲也氏と住む選択肢もあったが、母親の反対があり断念。
60代の顔写真「事実婚を解消」
- 2006年(60歳)
交際開始時にアメリカへの渡米を断ったこともあり、柴冨哲也氏と心の隙間が生じる。
そして、二人は事実婚を解消して離別する。 - 2009年(63歳)
アルバム「いきる」をリリースする。 - 2011年(65歳)
ジャズアンサンブルで世界的に有名な「ピンク・マルティーニ」とコラボする。
コラボ曲が世界50カ国以上で配信され、「iTunesチャート・ワールドミュージック」で一位に輝く。
由紀さおりの名前が世界的に広まり、本人も「信じられない」と話している。
【写真】由紀さおりの若い頃の髪型
由紀さおりさんといえば、セミロングくらいの髪の長さが印象的ですよね。
由紀さんの髪型の歴史についても調べてみました!
若い頃の髪型から遡っていきましょう!
ショートヘア時代
由紀さんは、デビュー当初はショートヘアでした。
主に20代のうちは、この髪型で登場していることが多かった様ですね。
セミロング時代
由紀さんの髪型といえば、このセミロング姿が思いつく人が多いのではないでしょうか。
30〜50代くらいにかけては、ずっとこのくらいの髪の長さで活動していましたね。
茶髪時代
最新の由紀さんは、セミロングの茶髪です。
ベースは茶髪ですが、所々金髪に染めている時もありますね。
!
由紀さおりの若い頃の年収は5億円!
由紀さんといえば、芸能界でもかなりの大御所になります。
現在年収の年収は、
1億円前後
だと言われています。
その内訳は以下の通りです。
若い頃から売れっ子だったこともあり、若い頃の年収も気になりますよね。
【番組出演料】
・テレビ出演料
一本50万円
・年間出演本数
50本
・50万円×50本
→2500万円
【印税収入】
・7500万円
【合計】
2500万円 + 7500万円
→1億円
また、20代の時点で年収は、
5億円
を超えていたのではないかと言われています。
若い頃は、歌手活動、バラエティ出演、ドラマ出演などもあったため、あり得そうな金額ですね。
そう考えると現在の総資産もかなりあるのではないでしょうか。
由紀さおりの若い頃の評判「歌手以外でも高い評価」
現在は、芸能界のトップ層と言っても過言でもない由紀さんですが、若い頃の評判はどうだったのでしょうか。
過去の由紀さんに対する評判を調査してきました。
森田芳光監督「全員集合の人柄に惹かれた」
「『全員集合』のままで良いですから、調布の日活撮影所に遊びに来て下さいと言われたんですよ」
引用:https://www.dailyshincho.jp/article/2021/11271100/?all=1
当初のバラエティ番組に出演していた由紀さんに惚れ込み、森田監督から映画出演のオファーを受けていました。
この作品に出演して、アカデミー賞「優秀助演女優賞」を受賞して、女優業の道も広がっていったのです。
市川猿之助「由紀さおりの大ファン」
2014年に由紀さんの歌手生活45周年を記念したコンサートをプロデュースした歌舞伎俳優の市川猿之助さん。きっかけは歌番組で由紀さんの歌を直接聞いてファンになったことから。
引用:https://toyokeizai.net/articles/-/422896?page=3
有名歌舞伎役者の市川猿之助さんも由紀さんの歌に惹かれたファンの人として知られています。
猿之助さんは、由貴さんの45周年コンサートのプロデュースまで手がけたようですね。
由紀さおりの若い頃に関するよくある質問
- 由紀さおりの三味線の師匠は誰ですか?
-
由紀さおりさんの三味線の師匠は、本條秀太郎さんです。
徹子の部屋にも出演したことがあり、三味線界の第一人者と言われています。
- 由紀さおりは昭和何年生まれ?
-
1946年(昭和21年)11月13日生まれで群馬県で誕生しています。
- 由紀さおりの本名は?
-
由紀さおりの本名は「安田章子」です。「やすだあきこ」と読みます。
由紀さおりさんの若い頃に関して気になっている人も多い様ですね。
歌手活動だけでなく、タレント、女優業までこなしてしまうなんて凄すぎますよね!
今回は、童謡歌手の由紀さおりさんの若い頃に関してご紹介しました。