政治家・実業家の田中眞紀子さんは昔から現在まで長きに渡って、活躍を続けていますね。
そんな田中さんは、若い頃から美人だったとファンの間で言われていました。
この記事では、田中さんに関して以下のことをまとめています。
- 学生時代の顔写真
「お嬢様らしい美人だった!」 - 年代別の顔写真
「若い頃がキレイだった!」 - 若い頃の髪型
「ベースは変わらず、年を追うごとに短く」 - 若い頃の評判
「攻撃的な発言で問題も多かった」
【顔写真】田中眞紀子の学生時代
引用:https://ameblo.jp/kimokenblog/entry-12239339013.html
こちらが田中さんの学生時時代の写真になります。
見た感じお嬢様らしい印象ですね!
この時から美人だったことがわかりました!
また、田中さんの出身高校と大学は、
〇高校名
日本女子大学高等学校
〇大学名
早稲田大学商学部
ということがわかっています。
学校に関する情報は以下の通りです。
引用:https://www.studyh.jp/kanto/school/C15P035/
◯学校名
日本女子大学附属高等学校
◯住所
214-8565
神奈川県川崎市多摩区西生田一丁目1番1号
◯偏差値
68
◯他の有名人の卒業生
平岩弓枝、夏樹静子、大石静、坪内ミキ子、君島十和子
引用:https://www.waseda.jp/top/access/waseda-campus
◯学校名
早稲田大学商学部
◯住所
〒169-0051
東京都新宿区西早稲田1丁目6−1
◯偏差値
75~78
◯他の有名人の卒業生
竹下登、森喜朗、森繁久彌、やくみつる、馬場典子
学生時代のエピソード「父に猛反対されても留学を決行」
引用:https://hukabori-dive.jp/tanakamakiko-young/
続いては、田中さんの学生時代のエピソードに関して振り返っていきましょう!
主なエピソードは以下の通りです。
- 田中家の跡取りとして育てられた
田中角栄さんの長女として生まれたが実は年子の兄がいた。
兄は4歳の時に亡くなっており、その後は真紀子氏が跡取りとして育てられた。 - 幼少期から父親と対立
幼い頃から父親と対立することが多かった。
バレリーナになりたいという夢を持っていたが父親に反対されてあきらめた。 - 父親に殴られても留学した
高校の時にアメリカに留学している。
その際は父親の角栄氏から殴られるほど反対されたが、自分で留学先を手配し強行している。
この留学中に18歳年上の男性と交際していたとも言われている。 - 大学時代は演劇サークルに所属
早稲田大学では演劇サークル(現在の劇団木霊)に所属していた。
同期には久米宏や長塚京三がいた。
田中さんの学生時代は自分の意思を貫いて自由に活動していた様ですね。
幼い頃から芯の強さを持っていたことがうかがえます。
殴られても留学を決行した意思の強さはお父さん譲りといえるかもしれません。
【年代別】田中眞紀子の若い頃がキレイだった!
引用:https://www.nhk.or.jp/politics/articles/lastweek/81913.html
田中さんは、現在80代です。
若い頃から活躍していたこともあり、その当初の写真を見たいという方も多いのではないでしょうか。
田中さんの若い頃を年代順でまとめてみました。
それでは、写真と当初のエピソードを振り返っていきましょう!
20代の顔写真「劇団に所属し舞台で活躍」
引用:https://www.jiji.com/jc/d4?p=tnk106-jlp01620677&d=d4_psn
- 1968年(24歳)
大学時代も演劇サークルに所属していたが、卒業後も劇団雲研究所に所属していた。
女優として舞台に出演していた。 - 1969年(25歳)
鈴木直紀さんと結婚。
この結婚にも父の角栄氏は反対しており、婿入りするにあたって以下の3つの条件を出している。
・直紀氏が旧福島3区から衆議院選挙に出ること
・将来、田中家の全財産を直紀氏に譲ること
・以上の二つを披露宴で公表すること - 1970年9月(26歳)
長男の雄一郎さんを出産。
雄一郎さんは現在、税理士・公認会計士などの資格を持ち実業家として会社の役員としても活躍している。
田中家の後継者と期待されたが本人は政界には興味がない様子。 - 1972年~1974年(28歳~29歳)
角栄さんのファーストレディーとして外遊に同行していた。
母親のはなさんは体が弱く社交的でなかったため、代理を務めていた。
30代の顔写真「父の角栄氏が逮捕」
引用:https://www.jiji.com/jc/d4?p=tnk106-jlp01620677&d=d4_psn
- 1974年(30歳)
長女の真奈子さんを出産。
真奈子さんは聖心女子大を卒業後、日本経済新聞社へ入社した。
その後同僚と結婚・離婚と週刊誌に取り上げられたことがある。 - 1976年7月(32歳)
父の角栄さんが逮捕される。
アメリカの航空機製造大手ロッキード社の全日本空輸への贈収賄事件、いわゆる「ロッキード事件」で逮捕・収監された。 - 1978年ごろ(34歳ごろ)詳細は不明
次女の真美子さんを出産。
真美子さんに関する詳細な情報はほとんど出ていないが、国土交通省のキャリア官僚と結婚しているとの情報がある。
お姉さんよりも真美子さんの方がお母さんに似ていると言われている。 - 1983年12月(39歳)
夫の田中直紀さんが議員初当選。
父の角栄さんが「ロッキード事件」の一審判決で実刑を受けたことにより衆議院が解散したことから「ロッキード選挙」と呼ばれた第37回衆議院議員総選挙で、結婚時の約束通り福島3区から直紀さんが初当選を果たした。
40代の顔写真「自身が議員に初当選」
引用:https://www.jiji.com/jc/d4?p=tnk106-jlp10543217&d=d4_psn
- 1990年2月(46歳)
夫が落選。
第39回衆議院議員総選挙では日本社会党新人の鈴木久にわずか204票差で落選したが1993年の第40回衆議院議員総選挙では復活している。 - 1993年7月(49歳)
自身が議員初当選。
第40回衆議院議員総選挙で父親の地盤である旧新潟3区から無所属で立候補してトップ当選している。 - 1993年12月(49歳)
父の田中角栄さんが死去。
1985年に脳梗塞で倒れて以来、眞紀子さんと自宅療養していたが最後は肺炎で亡くなっている。
50代の顔写真「女性初の外務大臣になるが更迭」
引用:https://www.jiji.com/jc/d4?p=tnk106-jlp06097253&d=d4_psn
- 1994年6月(50歳)
初当選を果たした翌年に発足した村山内閣で科学技術庁長官として初入閣する。
1年生議員が入閣したのは37年ぶりの事で波紋を呼んだ。 - 2001年4月(57歳)
2001年の小泉内閣の誕生の際は自民党総裁選で小泉氏を応援するなど尽力し、女性初の外務大臣に就任した。
就任後は外務省の事務方との衝突や自分勝手な理由から外交業務に遅刻、欠席するなど資質を疑われる行動が目立った。 - 2002年1月(58歳)
外務省を更迭される。
外務省幹部や外務省に影響力を持つ鈴木宗男議員との対立で国会も紛糾したため国会を正常化するために更迭となった。 - 2002年8月(58歳)
秘書の給与を横領していた疑惑が持ち上がり、自民党の党員資格を停止され議員辞職となった。
その後の捜査で犯罪性はないと判断され、詐欺罪に関しては不起訴となった。 - 2003年(59歳)
自民党から離れた後の2003年11月に行われた第43回、2005年9月に行われた第44回の衆議院議員総選挙では無所属で当選している。
60代の顔写真「3度目の入閣を果たすがその後落選」
引用:https://www.jiji.com/jc/d4?p=was101-jlp13544268&d=d4_aa
- 2004年3月(60歳)
長女の結婚から離婚に関して週刊誌が記事にしたが、プライバシーの侵害として差し止めの仮処分申請をし、認められた。
しかし仮処分が認められた時点ではすでにかなりの数が流通しており、その後仮処分も取り消された。 - 2009年8月(65歳)
2008年9月に夫を自民党から離党させ、夫婦二人で民主党に入党した。 - 2012年10月(68歳)
野田第3次改造内閣で3度目の入閣となる文部科学大臣に就任した。
この時に翌年に新規開校を予定していた大学3項の不認可を示唆したことから騒ぎとなったが、最終的には3校とも認可した。 - 2012年12月(68歳)
第46回衆議院議員総選挙では、父から受け継いだ地盤である新潟5区から出馬したが落選。
復活当選もできなかった。
落選の背景として、それまでの攻撃的な言動から古くからの支持者たちが離れていった点がある。
その後は立候補を見送っており、事実上は政界から引退した状態になっている。
70代の顔写真「旭日大綬章を受章」
引用:https://www.dailyshincho.jp/article/2018/02130559/?photo=1#google_vignette
- 2022年4月(78歳)
2022年の春の叙勲で夫とともに旭日大綬章を受章している。 - 2024年1月(79歳)
旧田中角栄邸で火災が発生し、2階建て延べ800平方メートルの住居が全焼した。
取材に対しては「仏壇に線香を上げて消し忘れた」と話している。
【写真】田中眞紀子の若い頃の髪型
引用:https://www.daily.co.jp/gossip/2023/12/08/0017111057.shtml?ph=1
田中さんといえば、ミディアム・暗めの色・パーマヘアが印象的ですよね。
田中さんの髪型の歴史についても調べてみました!
若い頃から遡っていきましょう!
セミロング・黒色・外ハネ時代
引用:https://www.jiji.com/jc/d4?p=tnk106&d=d4_psn
田中さんは、田中角栄さんの外遊に同行していた当時はセミロング・黒色・外ハネでした。
主に父の角栄さんに同行していた頃は、この髪型で登場していることが多かった様ですね。
ミディアムレイヤー・黒色・カールヘア時代
引用:https://www.jiji.com/jc/d4?p=tnk106-jlp01005734&d=d4_psn
田中さんの髪型といえば、このミディアムレイヤー・黒色・カールヘア姿を思い出す人が多いのではないでしょうか。
政治家として活動していた頃にはは、このレイヤー・黒色・カールヘア姿でしたね。
ショートヘア時代
引用:https://www.niigata-nippo.co.jp/articles/-/328979
最新の田中さんは、ショート・栗色・パーマヘア姿です。
田中さんの直近の髪型のため、田中さんと言ったらショート・栗色・パーマヘアという印象の方も多いのではないでしょうか。
田中眞紀子の若い頃の年収は3,000万円以上!
引用:https://www.niigata-nippo.co.jp/articles/-/325377
田中さんといえば、政治家としてでもかなりの大御所になります。
現在の年収は、
1,200万円前後
だと言われています。
その内訳は以下の通りです。
【会社からの報酬】
・取締役を務める会社からの役員報酬
年収 1,000万円
【年金など】
・議員年金は廃止されたので、国民年金他のみと思われる
年収 200万円
【合計】
1,000万円 + 200万円
→1,200万円
若い頃から活躍していたこともあり、若い頃の年収も気になりますよね。
国会議員時代の年収は、
3,000万円
を超えていたのではないかと言われています。
そう考えると現在の総資産もかなりあるのではないでしょうか。
田中眞紀子の若い頃の評判「田中だけはやめとけ」「いいこと言ってる」
引用:https://www.chunichi.co.jp/article_photo/list?article_id=721507&pid=3610342
現在は、政界のトップと言っても過言でもない田中さんですが、若い頃の評判はどうだったのでしょうか。
過去の田中さんに対する評判を調査してきました。
森喜朗「田中だけはやめとけ!」
引用:https://www.jiji.com/jc/d4?p=gaf928-jlp00869659&d=d4_int
森 大蔵だけで、他はやっていないし、外国との関係はあまりありません。一番の問題は、組閣の時に田中真紀子を外務大臣にしたことです。ぼくはずいぶん「やめろ」と進言したけれども、最後まで聞かずに入閣させたのです。
引用:https://gendai.media/articles/-/37973
当初の大物議員である森喜朗さんから田中さんは批判を浴びていました。
天才政治家と言われた父の田中角栄さんの後継者である眞紀子さんですが、彼女の振る舞いは受け入れられなかったこともあったようですね。
Xへの投稿「めちゃくちゃいいこと言ってる」
Xへ投稿している一部の人から田中さんは高い評価を受けていました。
田中さんの才能や努力を認めていた様ですね。
田中眞紀子の若い頃に関するよくある質問
- 田中真紀子が落選した理由は何ですか?
-
落選の背景には角栄の代からの支持者の高齢化、真紀子への反発で徐々に離脱が起きていた後援会「まきこ会」の有り様、地元に戻る機会が少なく、2011年の水害(平成23年7月新潟・福島豪雨)の復旧対応への批判、地元に貢献していないとの批判が根強かったことにある。
- 田中真紀子は過去に何をしてきましたか?
-
文部科学大臣(第17代)、外務大臣(第126代)、科学技術庁長官(第52代)、衆議院議員(6期)、衆議院外務委員長・文部科学委員長、新潟放送取締役などを歴任した。 日本で初めて女性で外務大臣を務めた。 父は第64・65代内閣総理大臣の田中角栄。 夫は防衛大臣などを務めた田中直紀。
- 田中邸の火事の原因は?
-
東京消防庁のデータでは仏壇の線香が原因となった火災は2013年~2017年の5年間で54件報告されています。 親族が集まる時期や、お彼岸やお盆などに多く起こります。
田中さんの若い頃に関して気になっている人も多い様ですね。
田中さんの若い頃を振り返ると現在の確立したポジションにいることも納得できます。
今回は、政治家の田中眞紀子さんの若い頃に関してご紹介しました。