歌手の松田聖子さんは昔から現在まで長きに渡って、活躍を続けていますね。
そんな松田さんは、若い頃から可愛いとファンの間で言われていました。
この記事では、松田聖子さんに関して以下のことをまとめています。
- 学生時代の顔写真
「セカンドシングルが大ヒット!」 - 年代別の顔写真
「変わらない美貌!」 - 若い頃の髪型
「大人気聖子ちゃんカット!?」 - 若い頃の評判
「晴れやかな青空を見た時のような衝撃でした」
【顔写真】松田聖子の学生時代
引用:https://yumeijinhensachi.com/archives/1874
こちらが松田さんの学生時時代の写真になります。
見た感じあどけない印象ですね!
この時から可愛かったことがわかりました!
また、松田聖子さんの出身高校は、
久留米信愛女学院高校(卒業は堀越高校芸能活動コース)
ということがわかっています。
学校に関する情報は以下の通りです。
引用:Googleマップ
◯学校名
久留米信愛女学院高校
◯住所
〒839-8508
福岡県久留米市御井町2278-1
◯偏差値
偏差値51
◯他の有名人の卒業生
吉田羊、馬場由美子
引用:Googleマップ
◯学校名
私立堀越高等学校
◯住所
〒164-0011
東京都中野区中央2丁目56-2
◯偏差値
偏差値39
◯他の有名人の卒業生
綾瀬はるか、杏、岡田准一、市川海老蔵
学生時代のエピソード「セカンドシングルが大ヒット!」
引用:http://hatudouki2gt.cocolog-nifty.com/blog/2019/11/post-301e2c.html
続いては、松田さんの学生時代のエピソードに関して振り返っていきましょう!
主なエピソードは以下の通りです。
- 松田さんは、高校2年生の時にミス・セブンティーンコンテストに両親には内緒で応募。
九州地区大会で優勝を勝ち取りましたが、公務員で厳しかった父親の反対で全国大会を辞退。 - 松田さんは、父親を説得し、「3年やってダメだったら九州の大学に進学する」という条件のもと許可が下りたため、高校2年生の夏休みに上京し、堀越高校の芸能活動コースに転校して卒業。
- 高校3年生だった1980年4月に、ファーストシングル「裸足の季節」で、歌手としてデビュー。
- 同じ年の7月にリリースしたセカンドシングル「青い珊瑚礁」が大ヒット、第22回日本レコード大賞受賞。
以降、数々のヒット曲を連発し、80年代を代表するアイドル歌手となる。
松田さんは学生の頃から芸能界で活躍をしていた様ですね。
松田さんは、長い間アイドル歌手として活躍されていましたが、まさか高校3年生という若さでデビューしていたなんて驚きです。
【年代別】松田聖子の若い頃が可愛かった!
引用:https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2022/04/10/kiji/20220409s00041000897000c.html
松田さんは、現在60代です。
若い頃から活躍していたこともあり、その当初の写真を見たいという方も多いのではないでしょうか。
松田さんの若い頃を年代順でまとめてみました。
それでは、写真と当初のエピソードを振り返っていきましょう!
20代の顔写真「神田正輝さんと結婚!」
引用:https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2022/12/09/gazo/20221209s00041000601000p.html
- 1982年(20歳)
シングル「赤い疑惑」がオリコン初の100万枚突破、ドラマ「赤いシリーズ」主題歌も担当し、女優としても活躍。 - 1985年(23歳)
交際していた郷ひろみとの破局を発表、単独で記者会見を行う。
「生まれ変わったら一緒になろうねと話し合った」と泣きながら語る一幕は話題となった。
同年6月、「カリブ・愛のシンフォニー」で共演した俳優の神田正輝さんと結婚、聖輝の婚礼と称され、大きな話題となる。 - 1986年(24歳)
長女・沙也加を出産、ワイドショーなどのメディアは、退院の様子や娘を抱いてインタビューに応える場面など一挙手一投足を報じ、母となった後も変わらずアイドル歌手としてヒットを続け、「ママドル」という呼称も生まれました。 - 1989年(27歳)
サンミュージックとの契約満了を機に同社から独立し、8月に個人事務所「ファンティック」を設立した。
1980年代後半は、欧米での活動にも力を入れ、初のオール英語アルバム「The Diamond Album」をリリース。 - 1990年(28歳)
アルバム「Seiko」で全米デビュー。
30代の顔写真「110万枚のミリオンヒット」
引用:https://forzastyle.com/articles/-/64464
- 1994年(32歳)
6年ぶりに「第45回NHK紅白歌合戦」に出場。
舞台上に下降したミラーボールの中から登場し会場を沸かせた。 - 1996年(34歳)
「あなたに逢いたくて〜Missing You〜/明日へと駆け出してゆこう」が110万枚のミリオンヒット。 - 1997年(35歳)
俳優の神田正輝さんと離婚。 - 1998年(36歳)
6歳年下の歯科医と結婚。
同年公開の映画「アルマゲドン」で、日本人観光客の役として数秒ほどのシーンだが出演を果たす。 - 2000年(38歳)
6歳年下の歯科医と離婚。
40代の顔写真「娘との親子共演」
引用:https://www.rbbtoday.com/article/2020/09/23/182391.html
- 2002年(40歳)
2001年から2005年頃は、芸能界デビューした娘の神田沙也加と音楽番組やバラエティ番組でよく共演した。 - 2003年(41歳)
子供の頃から兄とは仲が良く、兄が卒業した久留米大学附設高等学校の同窓会に、私人としてノーギャラで、旧姓の蒲池法子でゲスト出演した。 - 2006年(44歳)
年末のディナーショーで、かつての所属事務所サンミュージック会長の相澤秀禎と17年ぶりに再会。
ようやく和解できた喜びで、楽屋に駆けつけた相澤の姿を見て号泣した。 - 2010年(48歳)
アメリカの人気サスペンスドラマ「BONES」に、主人公のベストセラー作について取材する為に訪米した「リク・イワナガ」役でゲスト出演した。
50代の顔写真「デビュー40周年!」
引用:https://www.oricon.co.jp/news/86292/photo/1/
- 2012年(50歳)
6月に、同世代の大学准教授(歯科医)と3度目の結婚。 - 2014年(52歳)
新事務所「felicia club」を設立し「ファンティック」から移籍。 - 2015年(53歳)
デビュー35周年記念のシングルとして31年ぶりに松本隆と呉田軽穂(松任谷由実)のコンビによる「永遠のもっと果てまで/惑星になりたい」が発売されてチャート11位となった。 - 2017年(52歳)
新たな取り組みとして全編ジャズで構成されたアルバム「SEIKO JAZZ」を発売。 - 2020年(55歳)
デビュー40周年を迎え、アルバム『SEIKO MATSUDA 2020』を9月にリリース。
財津和夫と37年ぶりのタッグを組んで制作した「風に向かう一輪の花」などを収録しており、同曲の歌詞の内容はファンへの感謝や自身の人生の回顧と今後の決意となっている。
【写真】松田聖子の若い頃の髪型
引用:https://datstheband.com/matsudaseiko-now/
松田さんといえば、聖子ちゃんカットが印象的ですよね。
松田さんの髪型の歴史についても調べてみました!
若い頃から遡っていきましょう!
聖子ちゃんカット時代
引用:https://www.village-v.co.jp/news/media/9106
松田さんは、デビュー当初は聖子ちゃんカットでした。
主にデビュー年の1980年から81年暮までの約2年間のうちは、この髪型で登場していることが多かった様ですね。
アップスタイル時代
引用:https://grapee.jp/891301
松田さんの髪型といえば、このアップスタイル姿を思い出す人が多いのではないでしょうか。
1990年代中頃くらいにかけては、このアップスタイル姿で活動していましたね。
黒髪ストレートへア時代
引用:https://beauty.oricon.co.jp/news/58695/full/
最新の松田さんは、黒髪ストレートヘア姿です。
松田さんの直近の髪型のため、松田さんと言ったら黒髪ストレートへアという印象の方も多いのではないでしょうか。
松田聖子の若い頃の年収は億越え!
引用:https://media.nippon-donation.org/post_list/
松田さんといえば、歌手の中でもかなりの大御所になります。
現在の年収は、
5000万円前後
だと言われています。
その内訳は以下の通りです。
【印税】
・カラオケ収入
一2000万円
【音楽活動】
・ディナーショー
一51000円
300人×2日間
・(51000円×300人)×2公演
→3060万円
【合計】
2000万円 + 3060万円
→5060万円
若い頃から活躍していたこともあり、若い頃の年収も気になりますよね。
1980年代の時点で年収は、
7億5000万円
を超えていたのではないかと言われています。
そう考えると現在の総資産もかなりあるのではないでしょうか。
松田聖子の若い頃の評判「晴れやかな青空を見た時のような衝撃でした」
引用:https://www.seikomatsuda.co.jp/
現在は、アイドル界のトップと言っても過言でもない松田さんですが、若い頃の評判はどうだったのでしょうか。
過去の松田さんに対する評判を調査してきました。
音楽プロデューサー若松宗雄「この子は絶対に売れる」
引用:https://www.news-postseven.com/archives/20190418_1352886.html?DETAIL
「まるで夏の終わりの嵐が過ぎたあと、どこまでも突き抜けた晴れやかな青空を見た時のような衝撃でした」
引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E7%94%B0%E8%81%96%E5%AD%90
若松さんから松田さんは称賛を受けていました。
松田さんのことを認めており、若い頃から相当な実力だったのでしょうね。
田原俊彦「良き友人であり、良きライバル」
引用:https://otonasalone.jp/69352/
「良き友人であり、良きライバル」
引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E7%94%B0%E8%81%96%E5%AD%90#%E4%BA%A4%E5%8F%8B
田原さんから松田さんは高い評価を受けていました。
当初から松田さんの才能や努力を認めていた様ですね。
松田聖子の若い頃に関するよくある質問
- 松田聖子が芸能界に入ったきっかけは?
-
大ファンの郷ひろみのコンサートが福岡で行われる度に観に行き、歌手に憧れるようになり、ミス・セブンティーンコンテストに応募したことがきっかけでスカウトされました。
- 松田聖子は誰にスカウトされましたか?
-
音楽プロデューサーの若松宗雄さんです。オーディションに送られていたテープを聴いて「この子は絶対売れる」と確信したとか。
- 1980年代にヒットした松田聖子の曲は?
-
渚のバルコニー、野ばらのエチュード、裸足の季節、ハートのイアリング、Pearl‐White Eve. など多数の名曲をヒットさせました。
松田さんの若い頃に関して気になっている人も多い様ですね。
松田さんの若い頃を振り返ると現在の確立したポジションにいることも納得できます。
今回は、歌手松田聖子さんの若い頃に関してご紹介しました。