女優の加賀まりこさんは昔から現在まで長きに渡って、活躍を続けていますね。
そんな加賀さんは、若い頃から可愛すぎるとファンの間で言われていました。
この記事では、加賀さんに関して以下のことをまとめています。
- 学生時代の顔写真
「通学中にスカウトされる!」 - 年代別の顔写真
「若い頃は美少女だった」 - 若い頃の髪型
「フレンチシニヨン」 - 若い頃の評判
「川端先生は単なる私のファンだった」
加賀まりこの学生時代
引用:加賀まりこの若い頃がかわいすぎ!川端康成と昔の関係に驚愕!? | シャベリナ (shabelina.jp)
加賀さんの学生時時代の写真に関しては残念ながら出回っていませんでした。
代わりに年齢が学生時代に近いと思われる画像を掲載いたします。
見た感じとても可愛らしい印象ですね!
この時から美人だったことがわかりました!
また、加賀さんは高校を中退していて、大学には進学していません。
加賀さんの出身高校は、
明星学園高等学校
ということがわかっています。
学校に関する情報は以下の通りです。
引用:三鷹周辺の高校|明星学園高等学校の評判【武田塾三鷹校】 – 予備校なら武田塾 三鷹校 (takeda.tv)
◯学校名
明星学園高等学校
◯住所
〒181-0002
東京都三鷹市牟礼4丁目15-22
◯偏差値
59
◯他の有名人の卒業生
小栗旬(俳優・中退)、宮崎あおい(女優)、岩下志麻(女優)、中村獅童(歌舞伎役者)
学生時代のエピソード「通学中にスカウトされる!」
引用:加賀まりこの若い頃のカラー画像10選!眉毛の位置はいつから変になった?|RZM HEADLINE (feizeus.com)
続いては、加賀さんの学生時代のエピソードに関して振り返っていきましょう!
主なエピソードは以下の通りです。
- 小さい時から思ったことは何でも口にする歯に衣きせぬ毒舌だった。
また映画で見た、オードリー・ヘプバーンの髪型にするため1人で美容院に行くほどの早熟な子供だった。 - 運動能力が高かった!
中学生時代には陸上競技に取り組んでいた。
特に走り幅跳びでは、都大会で優勝した経験を持っている。 - 高校時代にスカウトされる。
高校在学中の1960年に路上で通学中にスカウトされ、松竹と5年間の新人契約を交わしフジテレビ系ドラマ『東京タワーは知っている』でデビューした。
その後1962年に『涙を、獅子のたて髪に』で映画デビューする。
加賀さんは学生時代から女優業を始めていた様ですね。
高校時代は行動範囲も広がり、六本木や麻布界隈の高級レストランに学生服のまま通ったりもしていたそうです。
【年代別】加賀まりこの若い頃が美少女だった!
引用:お若い頃の加賀まりこさん (ganshoji.com)
加賀さんは、現在80代です。
若い頃から活躍していたこともあり、その当初の写真を見たいという方も多いのではないでしょうか。
加賀さんの若い頃を年代順でまとめてみました。
それでは、写真と当初のエピソードを振り返っていきましょう!
20代の顔写真「人生リセットから、女優業に本腰を入れる」
引用:お人形さんみたい!加賀まりこの若い頃かわいい画像まとめ (dreamwaytogo.com)
- 1963年(20歳)
次々と続いていく仕事と女性週刊誌がイメージだけで作り上げる記事に嫌気がさし、人生をリセットする目的で半年後までの仕事を全てキャンセルし単身パリに渡った。
半年後国際電話で舞台の出演依頼を受け帰国し、その舞台の成功によって女優としての喜びを知り女優業に本腰を入れるようになる。 - 1965年(22歳)
映画『美しさと哀しみと』に出演することになり、、川端康成さんは原作者として加賀さんと初対面した。
川端さんは「演技より前の、あるいは演技の源の、加賀さんの持って生まれた、著しい個性と素質が出ていた」と褒めたといいます。 - 1972年(29歳)
未婚のまま妊娠・出産をする。
父親の名前を明かさず出産予定日より2か月早い早産で女児を出産したが、赤ちゃんは出産7時間後に亡くなってしまいました。
30代の顔写真「女優としてとても多忙を極めていた」
引用:加賀まりこ|人物|NHKアーカイブス
- 1974年(31歳)
フジテレビプロデューサーの高田明侑さんと結婚し、1980年に離婚する。 - 1977年(34歳)
NHK大河ドラマ「花神」に主人公の妻役として初出演した。
30代は毎年多くのドラマや映画に出演していて、女優としてとても充実していた年代とも言えます。 - 1982年(39歳)
第55回キネマ旬報賞・助演女優賞を受賞する。
受賞作『泥の河』『陽炎座』はどちらも小説が原作の作品で『泥の河』は自主製作という形で映画化された作品でした。
40代の顔写真「歌番組の司会を務める」
引用:加賀まりこの「歌手にこびない司会」がもたらしたもの – 80年代後半~90年代前半を回顧するブログ (fc2.com)
- 1985年(42歳)
NHK連続テレビ小説「澪つくし」でヒロインの沢口靖子さんの母親役を演じた。
これまで母親役を経験したことがなかった加賀さんは、このドラマで母親の気持ちというものを理解したようです。 - 1989年(46歳)
古舘伊知郎さんと共にフジテレビ系列「夜のヒットスタジオSUPER」の司会を務めました。
加賀さんは歯に衣着せぬ発言でアーティストを驚かせていたようです。 - 1990年頃(47歳)
この頃から更年期症状が出始め、10年余りに渡り更年期障害に悩まされたそうです。
50代の顔写真「最後の恋」
引用:加賀まりこ、54年ぶりの主演映画と自閉症を抱える18年来事実婚パートナーの息子を重ねた想いを明かす。 – NB Press Online
- 1995年(52歳)
テレビ東京系列の番組「クイズ赤恥青恥」で飯島愛さんと共演して以来、自分の亡くした娘と同じ年生まれの飯島さんを娘のように可愛がっていた。
飯島さんが亡くなったとき、お別れ会の発起人の一人として名前を連ねていた。 - 1999年(56歳)
ワーナー・パイオニアよりCDアルバム「愛しあう2人のために 愛のレッスン」を発売する。
全作詞を担当した安井かずみさんとは親友であり、初めて出会ったときはクロード・ルルーシュ風のドラマティックな出会いだったと安井さんは回顧している。 - 2002年(59歳)
加賀さんが55歳の時からずっとアプローチを続けていた6歳年下の演出家、清弘誠さんと事実婚をする。
清弘さんとは18年間事実婚の状態であるが、加賀さんは60歳にして息子と娘が出来たことを喜んでいた。
60代の顔写真「エッセイ集の発売」
引用:純情ババァになりました。の通販/加賀 まりこ 講談社文庫 – 紙の本:honto本の通販ストア
- 2004年(61歳)
新潮社より『とんがって本気』を出版する。
この本は、「FRaU」誌上で連載していた「私の20世紀」をまとめたエッセイ集です。 - 2008年(65歳)
講談社文庫から「とんがって本気」の加筆改題版、『純情ババァになりました。』が出版されました。
この本では、傷つくことを恐れず好奇心を持って自分の感性に正直にことの大切さが語られています。 - 2011年(69歳)
第24回日刊スポーツ映画大賞・助演女優賞を受賞する。
受賞作は『洋菓子店コアンドル』『神様のカルテ』で、『神様のカルテ』は第10回小学館文庫小説賞を受賞し2021年4月時点でシリーズ累計発行部数は337万部を記録している作品です。
70代の顔写真「54年ぶりの映画主演!」
引用:映画『梅切らぬバカ』シネマとうほく | 加賀まりこ 塚地武雄 (cinema-tohoku.co.jp)
- 2013年(71歳)
第68回毎日映画コンクール俳優部門・田中絹代賞を受賞する。
田中絹代賞は1985創設された賞で、映画界の発展に貢献した女優に贈られることとなっている。 - 2014年(72歳)
第23回日本映画批評家大賞・ゴールデングローリー賞を受賞する。
この賞のコンセプトは「批評家による批評家だけの目で選んだ他に類を見ない賞」というもので、受賞作品・受賞者が被るケースも多い国内の他映画賞と比較すると、独自の傾向があり、映画ファンからも一定の支持も受けている。 - 2021年(79歳)
加賀さんにとっては54年ぶりとなる映画主演作『梅切らぬバカ』に出演する。
このタイトルは「樹木にはそれぞれ特徴や性格があり、それらに合わせて世話をしないとうまく育たない」という戒めから転じて「人間の教育においても自由に枝を伸ばしてあげることが必要な場合と手をかけて育ててあげることが必要な場合がある」という意味のことわざ「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」に由来している。
【写真】加賀まりこの若い頃の髪型
引用:[B!] 77歳加賀まりこが語る、59歳から育んだ最後の恋「自閉症の息子を育てる彼は若い時より、ずっといい顔になっていたの」 | 文春オンライン (hatena.ne.jp)
加賀さんといえば、セミロングの髪を少し上に纏め上げている髪型が印象的ですよね。
加賀さんの髪型の歴史についても調べてみました!
若い頃から遡っていきましょう!
フレンチシニヨン時代
引用:女優『加賀まりこ』が若い頃とんでもなく可愛すぎる件【画像まとめ】|エントピ (entertainment-topics.jp)
加賀さんは、デビュー当初はトップにボリュームを持たせたフレンチシニヨンでした。
主にデビュー当時から20代のうちは、この髪型で登場していることが多かった様ですね。
ブラウンの髪を後ろで緩く纏める時代
引用:加賀まりこ、現在(2024)生きてる?衝撃画像が話題に! | アノ人の現在 (anohito-genzai.com)
加賀さんの髪型といえば、このブラウンの髪を後ろで緩く纏める姿を思い出す人が多いのではないでしょうか。
女優業ではなくバラエティ番組などに出演していた頃にかけては、このブラウンの髪を後ろで緩く纏める姿で活動していましたね。
白髪交じりの髪を後ろで纏めている時代
引用:梅切らぬバカのフォトギャラリー画像(2/11)|MOVIE WALKER PRESS 映画
最新の加賀さんは、少し白髪交じりの髪を後ろで纏めている姿です。
加賀さんの直近の髪型のため、加賀さんと言ったら少し白髪交じりの髪を後ろで纏めているという印象の方も多いのではないでしょうか。
加賀まりこの若い頃の年収は1億円!
引用:加賀まりこは若い頃から美女でモテモテ!魅力を徹底解説! | SORTE PLUS(ソルテプラス)|レディースファッションメディア
加賀さんといえば、女優業界でもかなりの大御所になります。
現在の年収は、
1000万円前後
だと言われています。
その内訳は以下の通りです。
【女優業】
・女優としての出演料
近年、仕事量は少なくなっていますが映画やドラマなどの出演で収入があるようです。
加賀さんの収入額については公表されていなかったので、推測になりますが女優としてのキャリアを考えると1000万円以上は収入があると思われます。
若い頃から活躍していたこともあり、若い頃の年収も気になりますよね。
20代の時点で年収は、
3億円
を超えていたのではないかと言われています。
そう考えると現在の総資産もかなりあるのではないでしょうか。
加賀まりこの若い頃の評判「川端先生は単なる私のファンだった」
引用:加賀まりこ 若い頃が橋本環奈級にかわいい【画像】旦那・清弘誠の作品がすごい | 最新ニュース!芸能エンタメまとめサイト (saisin-news.com)
現在は、女優界のトップと言っても過言でもない加賀さんですが、若い頃の評判はどうだったのでしょうか。
過去の加賀さんに対する評判を調査してきました。
作家・林真理子との対談「川端康成や三島由紀夫からあんなに愛された」
引用:林真理子の経歴や生き方がスゴい!デビュー前は?おすすめ代表作も | 情報通のニュースで盛りだくさん! (saitomo0908.com)
林:文豪と言われる川端康成や三島由紀夫からあんなに愛されたということは、今や“史実”として皆さんが聞きたいところだと思いますよ。
引用:川端康成もファンだった! 加賀まりこが“大物”から愛された理由 | AERA dot. (アエラドット) (asahi.com)
加賀:川端先生は単なる私のファンだったってことよね。
私が「雪国」で葉子の役をやったころから撮影所によくいらして、じーっと私だけ見てるの。
床に座って見るような新宿の芝居小屋に、私が出てると来てくださって、あの方、肉がないから、私、車から自分のクッション持ってきて「これを敷いてください」みたいなこともあって。
手数がかかりますよね、ああいうファンの人は(笑)。
林真理子さんから加賀さんは称賛を受けていました。
加賀さんのことを認めており、若い頃から相当な実力だったのでしょうね。
エンタメ&ライフスタイルニュースサイト「私の辞書に『臆する』という言葉はない」
引用:5月22日(水)の運勢を発表!毎日12星座占いランキング – モデルプレス (mdpr.jp)
「私の辞書に『臆する』という言葉はない」とピシャリ。
引用:https://mdpr.jp/news/detail/4248263
というのも自身の父が映画プロデューサーだったことから、加賀の自宅には幼い頃から大スターたちが訪ねてきていたそう。
加賀が例としてあげる黒澤明、美空ひばり、勝新太郎といったビックネームの数々に生徒たちは思わず驚愕。
さらに撮影所に日本人で初のノーベル文学賞受賞者した小説家・川端康成が来た時も「撮影中なのにあんたが来るとみんなが挨拶したり来たりで大変だから早く帰って」と言い放ったというエピソードにも驚きを隠せない。
その場にいた人たちも慌てたそうだが、加賀は「怖がられるより普通にしてほしい」と目上の立場に立った意見で質問者の悩みに寄り添った。
このコメントは民放公式サイトのオリジナル番組「最強の時間割」の中で出た発言ですが、加賀さんは広い年代からも高い評価を受けていました。
加賀さんの才能や努力は多くの人たちに認められていた様ですね。
加賀まりこの若い頃に関するよくある質問
- 加賀まりこの人生はツーペイとはどういう意味ですか?
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加賀さんが好きな言葉は「人生はツーペイ」。
「プラスがいっぱいあってもマイナスもいっぱいあるわけだから。 プラスマイナスゼロのような感じ」と説明し、悲しみがあれば喜びもあると信じてきたという。 - 加賀まりこの名付け親は誰ですか?
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芸名は秋山庄太郎に付けてもらった。 「加賀だったら、『まりこ』が明るくていいじゃないか」とのことだった。
松竹と5年間の新人契約を交わして1962年に『涙を、獅子のたて髪に』で映画デビュー。
中尾彬、山本陽子らと共演した主演映画『月曜日のユカ』は、加賀まりこの代表作の一つである。 - 加賀まりこの先祖は?
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祖父は元衆議院議員の加賀卯之吉、 母方の祖母は神田錦町で貸席を営んでいた松本フミ。
伯父・加賀一郎は、アントワープオリンピックで陸上競技100mと200mに出場しており、ベルリンオリンピックにも役員として選手団に同行、もう一人の伯父・加賀二郎は松竹株式会社元常務。
加賀さんの若い頃に関して気になっている人も多い様ですね。
加賀さんの若い頃を振り返ると現在の確立したポジションにいることも納得できます。
今回は、女優加賀まりこさんの若い頃に関してご紹介しました。